本名 | 玉尾千枝(旧姓、加藤) | |
生年月日 | 1951年3月8日 | |
血液型 | O型 | |
出身地 | 東京都港区赤坂 | |
デビュー | 1967年、映画「また逢う日まで 恋人の泉」でデビュー | |
代表作 | 「必殺仕事人」シリーズ、何でも屋の加代 他 | |
取得資格 | 調理師免許取得 | |
その他 | ・1968年〜69年の1年間、 ミス宝くじ(たぬきくじ)「幸運の女神」に選ばれる。 ・1980年1月、 芸名を「鮎川いづみ」から「鮎川いずみ」に改名 ・1982年、「必殺仕事人III」主題歌「冬の花」で 有線大賞新人賞受賞。 ・今はすでに女優を引退し(92年引退)、 現在、設立した自分の会社の 広告代理店の社長業をしている。 (番組、CM等の企画やプロデュース) ・2004年、化粧品事業も取り組み始める。 (鮎川いずみブランド化粧品、 「rich-lamella(リッチ・ラメラ)」のサイトが このサイトにリンクされてます) ・鮎川さんを管理人的に解説した 「解説!鮎川いずみさん」はこちら。 |
略歴 (参考資料、日本映画人名事典 女優編<上巻>)
・貿易商の父・重夫と母・美永子の一人娘。立教女学院中学から同高校に進んだが66年9月中退。そしてアメリカンスクール・イン・ジャパン(注1)に入り、67年8月、東洋企画にスカウトされる。同年、松竹=ビクターの「また逢う日まで・恋人の泉」に、青春スターとして売り出し中の竹脇無我と、歌手・三田明の二人の相手役に起用され、好運のデビューをする。
テレビ出演は、NHK「開花探偵帳」、「春の坂道」、TBS「お荷物小荷物」、「江戸を斬る 梓右近隠密帳」と売れっ子ぶりを示す。特に朝日放送「必殺商売人」以降の「必殺」シリーズにレギュラー出演し、「仕事人」シリーズのお加代役で人気を集める。他に「ザ・ハングマン6」等。
舞台は、70年「女沢正あほんだら一代」、72年「庖丁」、76年「夫婦坂」、80年「大川橋三特別公演」などに出演。
(注1)アメリカンスクール・イン・ジャパンについてこの参考資料には“中退”とありますが、ネットにて“卒業”という情報も発見されたのではっきりした情報がわかるまで掲載は控えることにしました。
デビューについて(参考資料、「時代劇マガジン Vol,13」インタビュー)
・習い事が好きな鮎川さんは、3歳からピアノ、バレエ等稽古事をしていた。たまたま発声の先生が歌手、三田明さんの事務所の社長と仲がよく、その社長から16歳の時「三田さんの20歳記念映画に出てみないか」と言われる。学校でも演劇部にいた鮎川さんは、芸能界を目指していたわけでもないこともあり両親に相談し、1回だけという約束で、松竹=ビクターの「また逢う日まで 恋人の泉」に出演。しかし68年にまた、日活から出演の話があり、出演した。そこからだんだんと鮎川さんの女優人生が始まったらしい。