ある日の昼下がり、一人の女が、一軒の店に入っていった。その店には『三味線屋・勇次』の看板が吊り下がっていた。店には、50代半ばながら、大人の色気を持った美男が座って、三味線の皮を張り替えていた。彼の名は、勇次。通称『三味線屋勇次』といった。

「よう、来たかい」勇次が声をかけた。「ああ、来たよ。それで何だい。用というのは?」女・加代が答えた。

「いや、お前さんに用があるのは俺じゃねえ。おっかさんだよ。」「おりくさんが?」「ああ、とにかく、中へ入ってくんな」「じゃ、お邪魔するよ」と加代が言った。加代は実年齢は50代ながら、40代に見える艶っぽい美女で、神田のじんべえ長屋で何でも屋を営んでいる。勇次とはもう長い付き合いになる。そして血は繋がっていないが、勇次の母親であるおりくとも。おりくは、自室で、布団に入って横になっていた。加代はおりくを見て、何とも言えない気持ちになった。かつては『仕事人』の元締を勤めたほどの女が、今は老婆になり、こうして布団で病人のように横になっているのだ。おりくが仕事人を引退してもう何年にもなる。「お加代ちゃんかい?」おりくが言った。声は案外しっかりしている。加代は少しホッとした。「そうだよ。おりくさん。あたしに何か用があるみたいだねえ」

「ああ。お加代ちゃん。さっそくだけど『闇幕府』っていうのを知ってるかい?」「『闇幕府』?」

「ああ。最近、裏の世界で勢力を伸ばしてる外道の集団さ」

おりくは引退したと言っても、かつては仕事人元締として、裏の世界の重鎮であった。引退しても何年かは裏の世界ににらみを利かせてきたが、最近はそれも薄れ、裏の世界の人間達がそれぞれグループを結成し、金さえ手に入れば何の罪もない者を平気で殺す集団も現れた。そして、その外道仕事人グループのいくつかが合併して『闇幕府』を名乗るようになったのだと言う。だが、まだ裏の世界にも正道を貫こうとする者たちもいた。偶然にもおりくと同じ名前で、品川宿で『白濱屋』という旅籠を営んでいる『白濱屋おりく』も『からくり人』というグループを率いて、庶民の晴らせぬ恨みを晴らしているそうだ。おりくはその『白濱屋おりく』とはかなり以前から親交があり、そのため、そういった裏の世界の情報がおりくの耳にも入るのだ。「それで、あたしにどうしろと?」と加代がおりくに尋ねた。「あたしはもういつお迎えが来るかわかんないし、勇さんや秀さんももう50過ぎだ。昔のようには動けない。主水さんも政も竜も、順之助まで死んじまったしね。それで、お加代ちゃん。あんたに若い殺し屋を集めて、新しい仕事人の元締になってもらいたいんだよ」「あたしが元締?」加代は驚いた。あまりに意外な展開に、加代は驚きを隠せなかった。

「あくまでも、弱い人たちの晴らせぬ恨みを晴らす稼業、法で裁かれず、のうのうと暮らしているワルどもを消す稼業として、仕事人を復活させたいんだよ。そして『闇幕府』と戦える者たちをね、探してほしいんだよ」「分かったよ。おりくさんの頼みなら断れないもん。あたしやるよ。見ててね。おりくさん」加代がそう言ったので、おりくはホッとした。「じゃ、さっそく探してくるからね〜」と言って、加代は元気に『三味線屋・勇次』を後にした。加代が出て行ったのを見届けた勇次は、加代が妙に張り切っているのを、いぶかしく思った。

銀次郎の見合いの日がやってきた。銀次郎は、りつとともに、約束の場所である料亭に着いた。女中に案内されて、部屋に入ると、相手の内田屋お信は、すでに両親とともに来ていた。銀次郎は軽く会釈をした。すると、仲人役の老婆は「これは、これは、ようこそいらっしゃいました」と恭しく挨拶をした。お信も無言ながら、深々と挨拶をした。お信はやはり大して美人ではない。だが、お信の笑顔を見た銀次郎は、心なしか自然に笑顔になるのだった。ああだこうだと色々な話が終わった後、仲人役の老婆が「じゃ、後は若い者同士で」と言い出した。「そうですねぇ。ほほほ」とりつや内田屋も同調した。そして若い二人がその場に残された。

「……」二人とも、しばらく黙ったままだった。銀次郎は、言おうか言うまいか悩んだ末、意を決して言った。

「あ、あのな。やっぱりほんとの事言わなきゃいけねえな。実を言うと今日来たのは、そ、その、義理なんだよ。義理。い、いや、別にあんたが嫌いとかそういうんじゃねえんだ。俺は今は、身を固めるつもりはねえんだ。わかってくれるかい」銀次郎はしどろもどろで言った。「さようでございますか」意外にも、微笑みながらお信が言った。「実を申しますと、私、他に好きな人がいるのです。なのに、両親がどうしてもって言うものですから。相手はお役人様だし、断りきれずに。それで今日は来たのです」「そうか。お互い義理で来てたって訳かい。そいつあ、よかったぜ」銀次郎はホッとして言った。お信も微笑んだ。

「あんた。笑顔がいいな。あんたの好きだって男、幸せ者かも知れねえぜ」嘘ではなかった。事実、銀次郎はお信の笑顔を見ただけで、お信が心の綺麗な女だと分かった。外見が美しいだけで心は泥のように汚い女とは違う。「ありがとうございます。今日は来てよかったです」とお信が言った。

加代は、おりくに仕事人を探すと豪語したものの、途方にくれ始めていた。何とかして二人見つけたのだが、これだけでは足りない。せめてあと二人は欲しい。そうでなければ、とても『闇幕府』と戦うどころか、『仕事』も出来はしないだろう。

加代が見つけた二人の仕事人は、通称「釣具屋の良太」と「関取くずれの貴」といった。良太は25歳で、表稼業は釣具屋であった。貴は30少し過ぎの元力士で、今は寺男をしていた。二人とも、仕事人になってまだ日が浅いが、殺しの経験は既にある。

とある神社の境内で、3人は話をしていた。「どうすんだい、元締。あと最低二人は必要なんだろ?」と良太が言った。

「大丈夫。一人はあてはあるよ。ただ、ちょいと若すぎるんだよ」と加代が答えた。「若すぎる?」今度は貴が言った。「ああ、まだ18歳の小娘だからねえ」「18?それじゃダメだな」「でも、ただの18歳じゃないよ。なんたって、あの伝説の仕事人の一人、中村主水の娘だからね」「何だって!?あの中村主水の娘?」良太は驚いて言った。「ああ、八丁堀、いや、主水さんが愛人に生ませた娘さ」「その娘は、どこにいるんだ?」と良太が聞いた。「たしか、下谷の方で、回り髪結いをしているって聞いたよ。名前はさえ。」「よく知ってるな」今度は貴が言った。「母親のおけいってのが、昔仕事人の元締を勤めていてね。主水さんや勇さん、秀さんもその下にいたことがあるんだよ。で、そのおけいさんは、主水さんの愛人でもあったのさ。そして主水さんが死んだ後、おけいさんがその娘を産んだんだ。だけど、さえちゃんが幼い頃に、おけいさんは何者かに殺されちまってね。その後は秀さんや勇さんが、さえちゃんの面倒を見てきたんだ」「秀さんや勇さんって、あの伝説の、飾り職の秀と三味線屋勇次の事か?」と良太と貴は、ほぼ同時に言った。そして二人とも半ば興奮していた。

数日後の昼。さえは昼食を食べていた。ご飯に、おかずはめざしと沢庵。質素だが、これでさえは充分だった。

さえは、18歳。まだ少女だ。あどけない顔立ちをしている美少女である。さえが昼食を食べ終わろうとする頃、

「さえちゃん、いるかい?」と外から声がした。さえが、「はあい」と元気に返事をしながら、障子を開けると、そこには秀と勇次が立っていた。「あら、秀さん、勇さん。何か御用?」と言いながらさえは、後3人、見知らぬ人間が立っているのに気付いた。直感的に、さえに警戒心が走った。「誰?この人たち」さえが秀に尋ねた。「俺たちの昔の仲間の加代と、新米の仕事人だよ」と秀が周りを警戒しながら静かに言った。「仕事人?」「ああ、この加代が、どうしてもお前さんを仕事人にしたいって言うんだ」「……とにかく中へ入って」さえが五人を中へ導きいれた。5人にお茶を出した後、「あたしは、仕事人なんかになる気はないわよ」早々にさえが言った。「どうして?」加代が尋ねた。「おとっつあんもおっかさんも、仕事人だった。でも二人とも、最期は普通に畳の上で死ねなかった。弱い人の晴らせない恨みを晴らす稼業と言ったって、所詮はただの人殺しじゃない。秀さんや勇さんも仕事人だけど、今は引退して、あたしの面倒をみてくれたから嫌ってはいないわ。でもあなたたちは別」「だけどね、さえちゃん」加代が言った。「気安く呼ばないで!」さえが反論した。その時、さえが立ち上がって、押入れに向い、何かを取り出して戻ってきた。

それは十手だった。焼け焦げていたのを、磨いて焦げを落としてある。

「これはおとっつあんの使ってた十手だって。おっかさんがおとっつあんの死んだ場所から形見として拾ってきたんだって。そしてそれを、何回も磨いて磨いて、やっとここまで綺麗にしたんだって」秀と勇次は、その十手を見て、あの時のことを思い出していた。主水が、かつての仲間・お千代と、宿敵・権の四郎とともにいた小屋が大爆発した時の事を。そして、火が消えた後、明らかに主水の物と思われる、焼け焦げた十手を、おけいが見つけて、大事そうに拾った時の事を。

「これを見るたびに、あたしはやりきれない気持ちになるの。仕事人は普通の人のようには生きられない。人の命を奪うからには、いずれは地獄へと落ちる稼業。まともに恋もできないなんて、そんなのあたし、嫌だわ」とさえが言った。

「大丈夫。さえちゃんには殺しはさせないつもりだから。」加代が言った。

「当たり前だ!」と秀が叫んだ。「さえはまだ18なんだぜ。そんな年頃の娘に殺しなんかさせられるかよ!」

「俺も、秀と同じだ」今度は勇次が静かに言った。「俺たちは、おけいが死んだ後、二人で、さえを裏稼業に巻き込まないように、大事に面倒見てきたんだ」「……」加代は黙ってしまった。「わかったよ。今日のところはこれで帰るよ」そして加代は、良太と貴を連れて、さえの家を後にした。

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