「必殺!新生仕事人」

慶応41867)年の春。ある日の夕方。中村銀次郎は、今、非常に退屈であった。

仕事は、それなりにできるが、別に面白い仕事とは思えない。「メリケン」から黒船が来航してこの方、江戸は等しく大混乱に陥っていた。そして今、官軍が江戸に向っている最中らしい。官軍が江戸を制圧したら、奉行所は一体どうなるのか。同心という職業に誇りを持っているわけではないが、新たに職探しをするのは大変そうだ、と銀次郎は思っていた。同僚たちは、皆、官軍の行軍に不安を覚えつつも、点数稼ぎにあくせくしている。その上、直属の上司、筆頭同心・田中熊五郎は、銀次郎から見れば無能に見える。しかも熊五郎と言う名前とは裏腹に、細身で、ナヨナヨしていて、オカマっぽい。何か頼むときは、そっと手を握り「お願いしましたよ」と言うのだ。銀次郎も何回かそうされたことがあるが、あまりの気持ち悪さに悪寒が走るような思いだった。そんな田中は、よく「先代の中村さんが行方不明になってくれて、私の出世の妨げは無くなった。せいせいしましたよ」と言う。もっとも銀次郎は、そんな田中の言葉を聞くたびに、「あんたは先代がいようがいまいが、出世できねえよ」と思っていた。さらに、家には、気の強くやかましい家族がいる。これらの事を考えると、銀次郎の心は重かった。「また、あの店に行って、飲んで帰るか……」銀次郎はそう思うと、さっそく帰る準備をした。

当年29歳の中村銀次郎は、南町奉行所の定町回り同心である。そして中村家の養子であった。銀次郎が、聞いたところによると、何でも中村家先代の当主である中村主水が18年前に突然行方不明になり、主水と妻のりつの間には子供がいなかったため、中村家は家名断絶の危機に陥った。そこで、主水の姑に当たる中村せんが、あちこちつてを頼った末、銀次郎を見つけ出し、急遽養子にしたらしい。というわけで、銀次郎は、形式的には、中村主水の養子ということになる。先代・中村主水は、奉行所では『昼行灯』と言われるほど無能な同心で、家では、いつまでたっても子供が出来ない『種無しカボチャ』と言われていたそうである。だが、銀次郎は、そういった話を、養母のりつや祖母のせん、上司の田中から聞くたびに、内心ではなぜか不満を感じていた。

銀次郎は、奉行所を出た後、なじみの飲み屋『お歌』へと向った。「あら、中村様。いらっしゃい。」「おう、また寄らせてもらったぜ」。お歌は、50がらみの女性で、この店の女将であり、一人で店を切り盛りしていた。店は狭いが、お歌の気風のよさと、安くうまい酒が飲めるというので、それなりに店は繁盛しているようである。銀次郎が今一番落ち着く場所でもある。

銀次郎が、店の隅の席に座って、熱燗を飲んでいると、戸が開いて3人の男達が入ってきた。

「やあ」と銀次郎が、入ってきた、これも50がらみの3人に声をかけた。「おや、八丁堀の旦那。こいつはどうも」3人のうちの一人、賭場で札まきをしている男・綾太郎が答えた。そして後の二人、すたすた坊主の松坊主と火消しの清次も、銀次郎に「どうも」と声をかけた。綾太郎は銀次郎のふたつ隣の席につこうとしながら、「酒。人肌」とお歌に注文した。松坊主は同様に「酒。熱燗」、清次は「酒。冷や」と注文した。お歌は愛想良く「あいよ!」と答え、すぐに注文された酒を3人に出した。

「どうしたんです。八丁堀の旦那。なんか浮かない顔してますよ」と清次が左隣にいる銀次郎に聞いた。「そんな風に見えるかい?」

「見えますねえ。いけませんよ。暗い顔してちゃ。どんな気分の時でも常に笑顔。笑顔ですよ」と綾太郎。

「あんたらにそう言われると、何だか本当に気分が軽くなるね」銀次郎は「フッ」と笑って、3人に答えた。嘘ではなかった。この3人やお歌と話していると、不思議と気分が軽くなるのだ。だから銀次郎は、しょっちゅう、この店に通っているのだった。「最近、仕事も惰性の連続でな。なんかおもしれえ事はねえかと考えてたのよ」「はあ、いいじゃありませんか。世の中、平和が一番ですよ」と綾太郎の右隣に座っている松坊主が言った。「もっとも、官軍が江戸に来たらどうなるかわかりませんがね」「そうだな」銀次郎は答えて、「さあて、そろそろ帰るとするか」と立ち上がり、お歌に勘定を払って、店を後にした。

銀次郎は八丁堀の家に帰った。「ただいま、帰りました」と言うと、すぐに養母のりつが駆け込んできた。

「こんな時間まで何をしていたんです!?大事な話があると言うのに!」「大事な話?」「そうです!とにかくすぐいらっしゃい!」 とまくし立てて、りつは居間へ戻っていった。「はあ……」と銀次郎はため息をついた。「大事な話」と言うのが何なのか、銀次郎にはすでにわかっていた。銀次郎が居間へ入ると、養祖母のせんも居り、銀次郎に「お帰りなさい」と声をかけた。「ただいま、帰りました」と銀次郎は返事をした。「それで母上。大事な話と言うのは?」「銀次郎。いい縁談があるんですよ」「やっぱり」と銀次郎は心の中で思った。縁談話は今回が初めてではないのだ。「また縁談ですか?で、今度はどこのお嬢さんですか?」「ふざけてる場合じゃありません!あなたももうすぐ30。いい加減に身を固めないと、世間様に顔向けが出来ないじゃありませんか!」「それはそうですが……母上、どうもこう、ビビッとくる人がいないんですよ」「そんなことはどうでもいいんです!いいですか!早いうちに、中村家の跡継ぎを作っておかないと。もしあなたの身に何か起こったら、今度こそ我が中村家は家名断絶ですよ!」とせんが言った。

「とにかく、会うだけでもいいから会いなさい!」とりつが迫った。「で、今度はどこの娘さんですか?」「千住の小間物問屋の、『内田屋』のお信さんですよ」「はあ……」銀次郎はため息をついた。「『内田屋』のお信ねえ……」『内田屋』のお信は、銀次郎も何回か見かけたことはある。はっきり言ってあまり美人とはいえなかったが、器量はいいとの噂である。しかし、お信が気に入らないと言うのではなく、今、身を固めることそのものが銀次郎は嫌なのだ。「オカマ」と陰で噂される上司の田中と違って、銀次郎はどちらかと言えば女好きである。なぜそう思うのか自分でもはっきりとは分からない。考えられるのは、嫁に来た女が、せんとりつとうまくやっていけそうにないと言うことである。せんは今、齢80過ぎだが、未だにかくしゃくとしており、何かといえば「我が中村家は」と言う。口うるさいのが二人もいれば、嫁は精神的に参ってしまい、最終的に実家に帰ってしまうかもしれない。銀次郎はそれを考えると、憂鬱なのだった。もっとも、あの二人と気が合う女が嫁に来れば、今度は自分の方が参ってしまう。仕事から帰って、家でのんびりしたいと思っても、うるさいのが3人もいると、と考えると恐ろしい。だから、銀次郎は何かと理由をつけては、縁談を断り続けてきたのであった。「はあ。じゃ、とにかく、会うだけですよ。会うだけ。」銀次郎がそう言ったので、とりあえず会う日取りを今度改めて決めるからということで、今日の話はお終いになった。

その夜。皆、寝静まって、風の音しかしない深夜。『幕府御用達』の金看板を掲げる大店の材木問屋『伊勢屋』の前に、黒ずくめで、覆面で顔を隠した3人の男がやってきた。そして、3人組の一人が、潜り戸を軽くノックすると、中で鍵を開ける音がして潜り戸が開いた。一味の女が『伊勢屋』の女中として潜入していたのである。その女が蝋燭を持ちながら3人を店の中に引き入れ、金蔵まで案内した。「ここか」3人組のうちの一人が聞いた。「そうだよ」と女が答えた。「よし」一人が、女に蝋で型を取らせ、一味の鍵師にあらかじめ作らせておいた合鍵を錠に入れて、金蔵の扉を開けて、中へ入ろうとした。その時、突然後ろから明かりが差し「誰だ!?」と声がした。異変に気づいた『伊勢屋』の主人・久兵衛である。「ちっ!バレちゃしょうがねえ!かまわねえから、片っ端から殺っちまえ!」そう言って3人組と女は、持っていた匕首で先ず久兵衛を殺し、それから久兵衛の家族、番頭、奉公人など、家にいた者全員を皆殺しにした。そして金蔵から金をすべて運び出し、建物に火をつけ、『伊勢屋』を後にした。

翌朝。銀次郎は、他の同心たちとともに、田中に率いられ、『伊勢屋』までやって来た。『伊勢屋』は火事で全焼していた。金蔵に、金が一銭も残されていないことから、押し込み強盗の仕業と断定された。そして焼け跡の中から、いくつかの焼死体が運び出された。むごいことに、8歳になる久兵衛の孫まで殺されたらしい。それを聞いて「んまあ!なんてひどい事を!」と田中がオカマっぽい口調で叫んだ。銀次郎は口には出さなかったが、心の中で、「許せねえ」」と思った。押し込み強盗だというので、事件は火盗改めが担当することになり、奉行所の面々は退去することになった。

「そうか。やったか。」ある屋敷の一室で、筋骨隆々とした、精悍な面構えの大男が言った。

「はい」と大男の前で、膝間づいている4人のうちの1人が答えた。4人は、あの晩『伊勢屋』に押し込み、金を奪い、一族郎党を皆殺しにした連中である。今は3人の、覆面をした男たちも素顔である。「よくやった。これは仕事の後金だ。」そう言って大男は、4人に、125両ずつ配った。「ありがとうございます。では、我々はこれで」と4人組のうち、女が25両を懐に入れながら言った。

「うむ」大男は答えると、4人は襖を開けて出て行った。4人が出て行くと、大男は、膝をついて反対側の襖を静かに開け、恭しく入っていった。その部屋の上座に、1人の小柄で長髪の老人が、茶を飲みながら座っていた。

「羅漢。首尾は上々のようだな」「はっ」と『羅漢』と呼ばれた大男は答えた。

「これで『青葉屋』に、幕府御用達の金看板が下りるじゃろう」「さようでございますな」

老人がフォッ、フォッ、フォッ、と笑った。

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